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Woman in the Rice Field

Pastel on paper   Akiko Hirano

静寂の音

平野明子& Tim Wong

「伊勢領(いせりょう)到着!」、狭い道の脇に小型バスが停車すると、運転手がたった一人の乗客に告げた。黒衣(くろえ)は運転手にお礼を言って、道端に出た。彼女を広い田んぼの横に残し、バスは離れて行った。彼女は周りを見回した。“こんなはずは無い。お寺はどこにあるの?”

 

今朝、黒衣は金沢のホテルをチェックアウトして特急で「高岡」へ行き、富山湾を北上して小さな町、「雨晴(あまばらし)」に向うローカル線に乗り換えた。黒衣は小さな無人駅の外のベンチで会話をしている二人の老人を見つけ、「国泰寺(こくたいじ)」への道順を尋ねた。彼らはしばらく考え話し合い、うなずきあった。黒衣は間違った交通手段をとっていたのだ。彼女はそこから「伊勢領」という別の小さな町までバスに乗らなくてはならなかったのだ。

 

国泰寺は日本の西海岸、富山県にある700年昔の禅寺。普化宗(ふけしゅう)の寺で、虚無僧(こむそう)が竹かごを頭にかぶり尺八を演奏する、という珍奇な儀式で知られている。大都市から遠く離れ、観光客はほとんど訪れる事も無く、商業化がなされず、より一層興味がそそられる。

 

田んぼに沿って歩いていた黒衣は、丸い竹帽子をかぶって、田植えをしたばかりの稲を管理していた地元の農婦を見つけた。その女性に声をかけ、寺院への道を尋ねた。女性はしゃんと背筋を伸ばし、手で陽射しから目を覆い、畑の遠端に見える低い丘を指差した。黒衣はお礼を言い、田んぼのあぜ道に沿って畑を横切った。猛烈な夏の陽射しが彼女を襲う。同じ陽射しの下で働いている農婦のことを考え、不平を言うのを止めた。そして45分後に、彼女は寺院を見つけた。

 

国泰寺は、大境内に多くの建物を有する印象的な寺院であることがわかった。かっては重要な霊場であったに違いない。今では、一見荒廃化しているようだが。黒衣は一対の恐ろしげな顔の仁王像の山門を通り抜け、鯉池のある美しい庭園に足を踏み入れた。誰も見えない。庭園を超え、彼女は広い長方形の中庭と石庭へと進んだ。周囲は本堂とそれに接続する建物の長い廊下で囲まれている。木の壁はくすんだ灰色に老齢化していた。本堂の扉は開いていたが、僧侶や訪問者は見当たらなかった。石庭の最も印象的な特徴は異常に巨大な岩、重さ42トンの岩は日本の庭園で最大級の岩と言われている。黒ずんだ苔が多くの岩や地面を覆い、庭園はむしろ陰鬱な雰囲気をかもし出していた。

 

石庭の裏には小さな茶室があり、手入れはなされておらず、風化した壁と穴の開いた障子紙の窓の単に素朴な建物。黒衣は、この小屋で何世紀にもわたって茶道や瞑想にいそしんでいた僧侶達のことを想像していた。茶室の向こうに、黒衣は丘の中腹に続く石段を見つけた。上には金色の華頂のついた三重の塔。彼女は石段を上り、さらには立派な瓦屋根の木造廟(びょう)へと続く別の石段を登りつめた。廟は一対の石塔に挟まれた柱で支えられた、一段高くなった木製の台場の上に置かれていた。閉じられたと扉の上部には色あせた金字で「天聖寶殿」と書かれた銘版が掛かっていた。

 

廟周辺の地面はじめじめとぬかるんでいた。黒衣はつま先歩きで廟の後ろに回り、丘の中腹に掘られた、人間が這って入るのに充分な大きさの洞窟を発見した。近づいて中を覗き見た。と、その瞬間、鋭い叫び声に彼女はびっくりして後ろに飛んだ。叫び声は洞窟の中からではなく、上からだった。上を見上げた彼女は、背の高い松の木の巣から飛び立ったイヌワシを見た。大きな鳥は頭上を低く旋回し飛び去って行った。突然、黒衣は独りでいることが怖くなった。何かしら禁じられた領域に侵入した自分を感じ、振り返り石段を急いで駆け降り下へ出た。

 

石庭に戻ると、遅い午後の太陽が巨大な岩に長い影を落としていた。黒衣はカメラを構え何枚かの写真を撮った。彼女は、ある建物の障子の引きドアの外に一足のわらじがあるのに気がついた。おそらく一人の僧侶がわらじを脱いで中に入って行ったのだろう。その時だった、彼女は誰かが木魚(仏教徒の木製打楽器)を演奏しているかのような、かすかな、しかし紛れもない音を耳にした。彼女以外に周りに誰かがいるかもしれないと知った初めての時だった。静かに音を追い、木魚を叩いている僧侶が見えるかも、と期待しながら。角を曲がって彼女が眼にしたものは。。。当惑してしまった。そこには誰もいない、でも音は引き続きしている。上を見上げた彼女は、軒先からひもにぶら下がった木片が、風の中で建物の壁に当たって揺れているのを発見した。

 

黒衣はその場に立ちすくんだ。顔は薄明かりに輝き、髪はそよ風になびき、この寺院で唯一の‘音’が彼女の記憶に焼きついた。

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Straw Sandals   Photo  Tim Wong

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Kokutaiji   Pastel on paper  Akiko Hirano