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House-on-Fire Ruin  Pastel on paper   Akiko Hirano


平野明子 & Tim Wong

Jomon clay tablet  Photo  Tim Wong

北日本、岩手県。「これらの模様は、紐で結んだ結び目で刻印されていました」と小さな粘土板を持って人類学者は言った。 「それがこの文化を‘縄文’、紐の模様、と名付けた理由です」。 「なぜ彼らはそれをしたのですか、模様は何らかの機能を果たしたのですか?」黒衣(くろえ)は、日本の初期の陶器のコレクション、あるものは一万年以上前の、すべてが複雑な結び目模様で装飾されている陶器を見ながら尋ねた。 「そうですね、いろんな説がありますが、個人的には、刻印は審美的な表現だったのではないかと思います」。と伊藤博士は肩をすくめて答えた。 「我々人間には‘美’が必要です。この人達は、最後の氷河期からそれほど長い時を経ていない時代、生きるための基本的な行動が日常の課題であった時代に生きていました。それでも、‘美’に対する必要性と感謝を持っていたことを忘れないでください。私はそのことにとても感動しています」。

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春、ユタ州南部。夏が早くやって来て、その日もまたかなり暑い日だった。浅い峡谷には緑豊かな植物が生い茂っていた。雨水の水溜りはまだ岩盤に残っている。ここ一週間、黒衣は多くのアナサジインディアンの遺跡を見たが、そのほとんどはアクセス不可能な高い崖の上にあり、峡谷のこんな浅い場所に遺跡が見つかるとは思っていなかった。彼女は角を曲がり、巾広い傾斜した岩の台地に出くわした。驚いたことに、保存状態のとても良い遺跡が、その台地の上部にある浅いアルコーブ(洞窟、空洞、洞穴)の中に位置していた。彼女は遺跡まで歩いて行き、それが「House on Fire」と呼ばれる遺跡であることに気付いた。

4つの石と泥(漆喰)の部屋は、大きく突き出た岩壁の下に押し込まれている。アクセスしやすい場所にもかかわらず、それらは見事に保存されていた。壁はほとんど無傷で、1つの部屋の砂床にはいくつかのアナサジのトウモロコシの穂軸があった。この遺跡の場所はユニークで、彼女が見た他のほとんどの遺跡とは異なり、完全に露出しており、侵入者に対する防御的な障壁が全く無い。ただし、一つ特に顕著な様相があった。遺跡の上の巨大な張り出した屋根は、渦(うず)と畝(うね)がねじれ、もつれて深く溝を刻み、あたかも炎の幻覚を想わせる、赤みがかったオレンジ色に着色されている。

峡谷を上っていくと、彼女は深い水溜りを見下ろす、岩壁が突き出た高い崖にたどり着いた。隣接する2つの洞窟に囲まれた、頂上近くの高い場所にある別の遺跡を見つけた。双眼鏡を通して、左の洞窟には、中央に四角い抜け穴がある湾曲した壁で守られた住居があるように見えた。右の洞窟には3つの別々の建物があり、洞窟の縁全体に広がる長い壁で保護されている。洞窟の内部に上る足がかりのある狭い通路。とても手ごわい設定だ。黒衣は何とか遺跡の下の次の段階まで登ることができたが、それ以上先に進まないことにした。


帰り道、彼女は今見た2つの遺跡の対比について考えた。 最初のは誰もが訪れることができ、後のは事実上、難攻不落。隣人がアクセス不可能な高い崖の上に住んでいるのに、なぜある者はむき出しの防御の余地の無い場所を選ぶのだろう?彼女は再度、最初の遺跡を訪ねた。そしてその‘皮肉なめぐり合わせ’について思いを膨らませた。と、そこで彼女が目にした光景に驚きの声を上げた。傾斜した岩の台地に跳ね返る午後の日差しが、遺跡を輝かしく紅色で塗りたくっている。彼女は暖かい岩の上に横になり、頭を後ろに傾けて頭上の壮観な光景をじっと見つめた。屋根全体が踊る炎で燃えていた!この遺跡がいかにユニークで壮大なものかを実感した。

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Cliff  dwelling  Photo  Tim Wong

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Corrugated pottery shard   Tim Wong

そこを去る前に、黒衣は最後にもう一度その遺跡の周りを探索することにした。砂の中に半分埋もれた小さな灰色の石が目を引いた。波形が美しく装飾された陶器の破片。それを手のひらにのせ、伊藤先生との会話を思い出した。日本最古の縄文土器は1万年以上前のもの。アナサジの陶器は、ベーリング地峡が海中に沈んだ後、西暦200年頃まで出現していない。 2つの大陸に離れた人々は、陶器を開発し、それを芸術の形に洗練させた。審美的な表現。『そうか!』突然、黒衣はすべてが明らかになったのを感じた。彼らは、陶器を装飾したのと同じ理由で、この場所に住居を構えたのだ。彼らには‘美’が必要だったのだ、たとえ毎日が生死の闘いであっても。彼女は遺跡へ最後の賞賛を送り、陶器の破片を砂の中に戻し、峡谷を下り始めた。

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