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White Sands National Park painting

White Sands   Pastel on paper   Akiko Hirano

ホワイトサンズ
平野明子 & Tim Wong

真冬のある日の午後、黒衣(くろえ)が到着すると、そこには人影は全く無かった。 ピクニックエリアは閑散としていて、不毛の地にピクニックシェルターが並んでいた。 彼女は予備の水のボトルをバックパックに詰め込み、砂丘の方向へと歩き始めた。 砂は雪のように真っ白で、所々には風に吹かれ平ったくなった草の細片が乾燥した地にしがみついていた。 やがて、彼女は二色:上半分は深い青色そして下半分は無限の白い海、に分断された超現実的な世界に飲み込まれて行った。

White Sands picnic shelters

White Sands Picnic Shelters   Photo   Tim Wong

ニューメキシコ州のホワイトサンズ国立公園は、世界最大の石膏砂丘地帯である。 白い漆喰の原料である石膏は水に溶けやすく、通常は雨で洗い流される。 ここトゥラロサ盆地には水の出口が無い。 石膏は結晶化して盆地に蓄積し、持続的な南西風に吹かれて 275 平方マイルの面積を覆う大きな砂丘になる。

 

最近まで、ホワイトサンズは人類の歴史を変えた出来事で最もよく知られていた。 1945 年 7 月 16 日の朝、砂漠の片隅でプルトニウム装置が爆発し、巨大なキノコ雲が広範囲に広がった。 これは世界最初の核爆弾実験であり、第二次世界大戦中の原爆開発のためのマンハッタン計画の集大成であった。 3週間後、最初の原子爆弾が日本の広島に投下され、その3日後には2番目の原子爆弾が長崎に投下され戦争は終結した。 現在、核実験を思い起こさせる唯一のものは、トリニティと呼ばれる現場にあるピラミッド型の石標だけだ。

トリニティ遺跡の南、そこには人類の歴史の興味深いページが、長い間砂の下に隠れ、人目につかずにいたのだ。 2009 年、公園管理者のデビッド バストスは、白い砂の下の堆積層に化石化した足跡があることに初めて気づいた。 その後の発掘により、保存状態の良い数百の動物と人間の足跡が明らかになった。 これらの層の草の種子の放射性炭素年代測定により、その痕跡は1万8000年から2万3000年前の間に作られたもので、人類が新大陸に足を踏み入れたと考えられていた以前の年代よりもはるかに古いことが示された。 2 万年前、北半球の大部分がまだ厚い氷の下にあったとき、この場所はオテロ湖と呼ばれる大きな水域を囲む緑豊かな草原だった。湖岸沿いを散策する草食動物に引き寄せられた捕食動物や狩猟者の足跡が干潟に残り、それが、巨大動物区系の中で生計を立てようとしていた人類の更新世後期の生命の興味深い物語を語っている。 ケナガマンモス、ラクダ、巨大ナマケモノ、ダイアオオカミの足跡があった。 重なり合う足跡の 1 組には、数人の人間が巨大ナマケモノを追いかけている様子が示されていた。 動物は立ち上がり、追っ手の方を向き、泥の中に渦巻く足跡を残した。 別のセットの足跡は、脇腹に荷物を抱え威勢よく歩く一人の女性を表していた。 約100ヤード毎に、幼児の小さな足跡が彼女の隣に現れ、幼児を連れた女性が腕を休めるために幼児をちょっと降ろしたことが示唆された。

 

黒衣(くろえ)は砂丘の風下側を歩き頂上まで登った。 反対側では、砂丘の海が 15 マイルか 20 マイル離れた西のサンアンドレス山脈に向かって波のようにうねっていた。遅い午後の光が官能的なフォルムをきわだてていた。 石膏の結晶は百万個のダイヤモンドのように輝いていた。彼女は膝を抱えて砂の上に座り、太陽が遠くの山並みにゆっくりと沈むのを眺めていた。 空がオレンジ色、赤紫色、そして濃い紫色へと変わっていった。 色が消えた瞬間、彼女の世界は一変した。 夕暮れの中で、彼女は遠くのきらめく湖の岸に沿って、ケナガマンモスやラクダが散歩しているのを見た。 そこには、風に揺れる一本のユッカの影が、赤ん坊を抱えた若い女性となって、どこか見知らぬ目的地へと歩き去って行った。 女性は、危険な動物、ダイアオオカミ、あるいはサーベルタイガーがいないか用心深く周囲を見渡しながら、幼児を降ろした。 彼女は、自分が人類の歴史に消えることのない足跡を残し、人間という自らの種族が、実は地球上で最も危険な動物になろうとしている事など想像も出来なかった。

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Footprints on Sand   Pastel on paper   Akiko Hirano

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