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Hano Pueblo  Pastel on paper  Akiko Hirano

トニタ

平野明子 & Tim Wong

2020年秋、世界は新型コロナウイルス蔓延の真っ只中、百万人をはるかに越える命が奪われ、連日何百何千もの人が重症に瀕している。サンタフェの自宅でニュースを追う黒衣(くろえ)は今日も悪い出来事ばかりで落ち込み、ふと死亡告示欄に目を向け、馴染みのある名前にハッとする。

ウインスローのグリーア葬儀場

アリゾナ州ウィンスロー86047

アリゾナ州ポラッカのトニタ・ナムペヨ

1936年6月23日– 2020年10月25日

 

一般にはトニタ・ナムペヨとして知られているトニタ・ハミルトンは、著名なホピインディアンの陶芸家ファニー・ナンペヨの娘。彼女の祖母、単に“ナンペヨ“として知られたホピインディアンは、ホピ陶器の失われたSikyataki(シクヤトキ)スタイルを19世紀後半から20世紀初頭にかけて復活させた。この短い訃報に驚愕した黒衣の記憶は 32年前のあの日、あの遥か彼方の場所へ遡って行った。

1988年6月23日、テキサス州オースティンで開催された学会に出席した後、黒衣はアメリカ南西部をドライブしていた。猛暑のある日、彼女はアリゾナ州北部のホピインディアン居留地を初めて訪れ、ビジターセンターでプエブロ(部落)内を見学する許可を求める。若い女性が出てきて彼女に挨拶する。「私はケイです。今日はあなたのガイドを勤めます」。プエブロ内での規制(スケッチ、録音、カメラ禁止)を聞いた後、黒衣はケイに続いて、舗装はされているものの急勾配の崖の路を “ファーストメサ”の頂上まで車で上った。

 

ホピインディアン居留地は、丁度3本の指のようにアリゾナ砂漠に突き出た3つのメサ(岩石台地)の上に建てられた、12個のプエブロで構成されている。“ファーストメサ”にはワルピ、シショモビ、ハノの3つのプエブロがあり、それぞれ地下の儀式用キバのある小さな広場を持つ。ケイは真ん中のシショモビプエブロ出身とのこと。狭い通路を歩​​く黒衣は、彼らの家が伝統的な日干し煉瓦(アドビ)の建築であることに気付く。しかし彼女がニューメキシコ州で訪れたプエブロとは異なり、ホピのプエブロにはスペイン人によって設立されたミッション(伝道場)は見当たらない。ケイは「ファーストメサのプエブロは、1680年のスペイン人による征服に対する反乱の後に建てられました。実は今私達が通り過ぎたハノプエブロは、その反乱の時に、ニューメキシコ州のリオグランデプエブロから逃れてきたテワ語を話す人々によって樹立されました。ここにはスペイン人のミッションはありません」。

 

彼らはメサの先端にある最後のプエブロ、ワルピに到着した。切り立った崖に囲まれ明らかに防衛のために建てられたプエブロ、黒衣はそこから西に10マイルの距離に、セカンドメサを見ることができた。 ガイドのケイは、キバ(儀式用の地下の建物)の近くの大きな釣り合いの取れた岩を指差しながら、「あれは神聖な"フラワーロック“と言われる岩です。私達に幸せをもたらしてくれます」、と話してくれた。 「人々はどこで水を手に入れるのですか?」黒衣は尋ねた。「水道や電気はありません。人々はここまで水を運んできます」、とケイは答えた。彼らが話している間、ケイは数人の観光客がぶらついているのを見つけ、彼らに「ガイドなしでここに来ることは出来ないはず!」と忠告した。 「警告のサインは何も見ませんでした」、とそのうちの1人が答えて立ち去った。

 

ビジターセンターに戻った黒衣は、本で読んだホピの陶芸家トニタ・ナムペヨを訪ねることが出来ないかどうか尋ねた。 「彼女の家はハノプエブロにありますよ」、とケイは教えてくれた。黒衣は彼女に感謝し、来た道を戻った。日干し煉瓦(アドビ)の家を見つけ、風化した木製の扉をおそるおそるノックする黒衣。 「お入りなさい!」と女性の声、黒衣は鍵のかかっていない扉を押し開け、むき出しのワンルームの部屋に足を踏み入れた。中には50代の女性が小さな四角いテーブルの上で、未焼成の壺に絵付けをしていた。黒衣は写真で見た彼女だと直ぐにわかった。トニタは黒衣に椅子を引っ張ってきて座るよう促した。黒衣が見守る中、トニタはユッカ(イトラン)の葉を手に取り、歯で噛み砕いて繊維をねじり細い‘筆‘にした。彼女は'筆’を小皿の琥珀色の液体に浸し、左手で壺を回転させながら一連の、目にはほとんど見えない線で液体を巧みに壺の表面にのせて行く。絵付けの終わった壺はまるで全く何も塗られていないようだった。

 

作業台の他に、部屋の中にはベッドと数脚の椅子しかない。50ガロン(約200リットル)の水の入ったドラム缶が部屋の片隅に置かれ、奥にはいくつかの干したトウモロコシの穂に混じって、衣服が木の棒に吊り下がっている。小さな四角い窓から黒衣は遠く地平線に向けて拡がる紅色の砂漠を見ることが出来た。

 

ドアが突然開いて、 「お婆ちゃんお誕生日おめでとう!」と、少女が飛び込んで来た。後にはずんぐりした男性、黒衣は立ち上がって自己紹介をした。 「ユージン、孫娘のヤナカ」と、トニタの夫は大きな手を差し伸べた。黒衣はテーブルの片隅に自家製のケーキが置かれているのに気付いた。 「今日は貴女のお誕生日だとは知らなかったわ。お誕生日おめでとうトニタ!」。トニタは塗りたての壺をユージンに手渡す、「これも焼成できるよ」。それから黒衣に向かって「焼成を見てみませんか?」と。 「もちろん、見てみたいです!」。黒衣はトニタとヤナカに別れを告げ、ユージンの後を追ってメサを下り息子の家に向かった。彼女はユージンが足を引きずって歩くのに気付いた。

 

そこはトレーラーハウスだった。ユージンは黒衣を裏へ連れて行く。そこにはすでに焼成用の浅い穴が地面に掘ってある。彼は牛乳箱からいくつかの陶器を取り出し、それらを穴に注意深く配置し、その周囲を金網やこわれた壺のかけらなどで慎重に覆っていき、更にその上に乾燥した平たくせんべい状の牛の糞を積み、火をつけた。ユージンが火番をしている間、黒衣は木の切り株に座って見守っていた。太陽が容赦なく照りつける午後二時、彼女は日陰を探し回るがどこにも見当たらない。トレーラーハウスの横には、うるさく耳につきまとうハエを払いのけ続けるやせ細った牝馬がいる小さな囲い、 2匹のコヨーテの毛皮がその囲いの柵にぶら下がっている。彼女はこのような環境の中で、かくも美しい陶器が出来上がるを見るのは皮肉なことだと思った。

 

焼成後ユージンは金網を注意深く剥がし、穴の中を冷ましている。壺は灰色から豪華な黄金色に変わっていた。トニタが壺に描いたほとんど目に見えない線は、彼女の特徴的な「翼」のモチーフに変わっていた。生まれたての赤子のようにまだ暖かな壺を手に取った黒衣は恋に落ち、その場でそれを買いたいと懇願した。本来、その壺はギャラリーに売られることになっていたのだ。それ以来、この壺は彼女の最も大切な宝物の1つとして残っている。

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黒衣は新聞の訃報欄から目を離し、居間のスペイン風のキャビネットの方へ歩いて行く。キャビネットから壺を取り出し、その滑らかな曲線の上に手を走らせる。トニタがどのようにこれらの細い線をユッカの葉で描いたか、そしてユージンがどのようにそれを焼成穴から持ち上げ、大きな笑顔で黒衣に見せたか、いまだにはっきりと目にやき付いている。黒衣は壺を裏返して、底のトニタの署名と彼女の‘トウモロコシ族’のシンボルを見る、折りたたまれた紙片がつぼの中から落ちてきた。ユージンが亡くなる数年前の1998年1月24日付けのトニタからの手紙だ。

 

黒衣様、ホリデーシーズンにカードを頂き、私達の事を覚えていて下さりありがとうございます。ユージンとヤナカは元気にしています…

 

再度手紙を読む黒衣は、思い出が夢のかけらのように次々と染み出してくるのを感じる。実にいろんなことがあった。

『一体全体何がおきたというのか?』

 

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Tonita Nampeyo's seed pot  Photo Tim Wong

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